明星康太郎(あけぼしこうたろう)という男

出張2日目。今日は東京のど真ん中 秋葉原 で目覚めた 明星光紀(あけぼしみつのり) です。本当は実家(埼玉県狭山市)に行って、親父の墓参りもしたいんだけど、団体行動なので、それはまた今度という事で。。。

今日のブログは父親について。どんな人物だったのか?というと正直よく分かりません。

なんで分からないのか?というと膝を付け合せて語り合った記憶もないし、多分実際そんな機会もなかったと思います。高校進学や大学進学もそんなに相談せずに自分で決めたし。。。

でも、確実に言えるのは、この親の子で良かったよね。って事です。いったいどんな親だったのか?もし良かったらお読みくださいませ~。

明星康太郎(あけぼしこうたろう)という男

ボクの父は昭和19年1月19日(多分・・・兄貴が17日なので、いつもどっちがどっちか分からなくなります(笑))に生まれました。記憶が定かではありませんが、母から聞いた話によると、満州で生まれて、戦争が終わって本家のある山形県へ帰ってくる途中に兄弟が亡くなってしまい、子供は父だけになってしまったそうです。

後日、父の父(爺ちゃん。ボクが物心つく前に亡くなってしまい、みた事ありません。)は後妻さんをもらい、妹が出来ました。

父は中学か高校(どっちかわからない)を卒業して、埼玉県和光市で魚屋さんに就職したそうです。そこで、母と出会い結婚しました。和光市の魚屋さんの後は確か川越かどこかで義弟(妹の旦那さん)と魚屋さんをしたか勤めたかで埼玉県狭山市の西武新宿線新狭山駅の近くに店舗併用住宅を建築し、お寿司屋さんを開業しました。

今になって思うと、鉄骨2階建てで延床面積はかなり大きな建物です。当時は土地が安かったかもしれませんが、角地でそれなりの一等地、かなり思い切って借金をしてお店を始めたと思います。本当にたいした男です。

子供は3人(兄・姉・ボク)に恵まれました。でも、仕事が忙しくて、あまり子供と過ごせる時間も少なかったのではないでしょうか?多分、本人はそれを1番後悔しているかもしれません。今となっては亡くなってしまっているので、確認のしようもありませんが。

父の仕事は順調そのものでお店も大繁盛。地元ではそれなりの名店だったと思います。ボクがバイトしたのは大学の4年間だけでしたが、バブル景気やバブル終焉くらいだったので、そんな印象(繁盛っぷり)がかなり強く残っています。

とにかく、父はじっとしていません。定休日には山登り(写真)、スキー、野球観戦と動きまくりです。うん、ボクもそんな節あるよね(苦笑)そして、かなりの働き者です。朝5時くらいに起きて、若い衆の車で大宮にある市場で仕入れにいき、午前中仕込み、ランチ営業、ランチ終了後は昼寝を挟んで3時4時くらいからまた仕込み、そして23時まで夜の営業という感じでした。

ハンパない。働きすぎだし(汗)

こんなに働く父でしたので、ボクはこんな真似できないし、したくもないと思って、家業を継ぐという選択肢はありえなかったのはナイショではなく、本当の話です。

上にも書いたけど、家族みんなで食卓を囲んでご飯を食べるという事は週に一回の定休日くらいでした。しかも、ボクは頭が悪かったので、物心ついたとき(小学生高学年)くらいには、もう兄貴も就職で家を出るような感じの家族構成だったので、ほぼ家族みんなでご飯を食べた記憶(家族で色々と話したり、怒ったり、怒られたりという記憶)がありません。

そのせいか分かりませんが、ボクは親に相談するのが苦手な子になり、進路(高校、大学)とか就職はほとんど相談もせずに自分で決めてしまって事後報告という感じだったので、いざ自分が家庭を持ったときにどうやって子供と向き合ってよいか分からなくなる事があったり、未だに子供との付き合い方が下手糞であったりするので、妻には非常に迷惑をかけていると思います。

ごめんなさい。

高校は私立(しかもラグビー部に入ったので、結構お金がかかりました。)、大学も私立という事でボクに対しての経済的負担はかなり大きかったのにも関わらず、愚痴ひとつ言うことなく、育ててくれました。

本当に感謝しかありません。(当時は当然だと思ってましたけどね(苦笑))

苦労をかけた父に出来た唯一の恩返し(親孝行)は孫の顔(長男)を見せてあげれた事かな~って思います。これも妻なくしては実現できませんでしたね。ありがとう。当時ボクら夫婦は実家から車で30分くらいはなれた所沢市のアパートにすんでいたんだけど、定休日の度に妻は呼び出されて、車で30分かけて実家へ孫の顔をみせに行ってくれました。

本当にありがとう。

残念ながら長男が1歳になる前に事故で亡くなってしまったので、次男の顔も姉貴の2人の子供の顔も見ることが出来ませんでしたが、本当にこの親があって、今のボクがあるんだよね~。って思うと感謝がつきません。

そんな父が眠るお墓に今回はいけないけど、また東京に来ることがあったら寄っていこうと思います。母の顔も見たいしね。

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兄弟3人、家の前で写真撮影(皆顔一緒やん(笑))

さ、そんな訳で、父と母からもらったこの人生を楽しむべく、今日も頑張ります。では!

 

 

 

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