【高校時代】女はいらない?ラグビー部で文武両立!意外と太マッチョ!?

中学校時代も野球一色の生活を送っていたのですが、ただ野球をしていただけではありません。顧問の渡辺先生(ニックネーム=マイケル)は、勉強についてもとても厳しい先生でした。マイケルは、野球は頭を使うスポーツだ!頭の悪いやつは試合で使わん!とボクらに勉強の大切さを教えてくれました。(ん?教えてくれたのかな?)

そんな訳で、部活終了後、週2回のペースで電車に揺られて隣駅の狭山市駅近くにある学習塾 四樹学院に通って勉強にも励みました。もちろん、勉強するだけなく、お目当ての娘を見つけて、一方的に片思いしていたなんていう青春の一幕もありましたが、特に告白などする事もなく、そのまま卒業しちゃいました。
(うん、結局そんなに好きではなかった・・・というだけです(笑))

実は、中学1年生の時、光紀少年はとても頭が悪い子でした。当時は北辰テストという偏差値を測定する試験があったのですが、中学1年の時の学力は忘れもしない偏差値46くらい?でした。コチラの地域で言うところの200~250点くらいのレベルですね(汗)

そんな偏差値でも特に「勉強しなきゃっ!」っていう危機感はなく、親からも特に「勉強しなさい!」とも言われなかったので、そのまま勉強しない日々を過ごしました。
ところが、中学2年の2学期の中間試験で転機が訪れます。それは、特に勉強した記憶はなかったのですが、社会の試験でかなりの高得点をゲット!!!ちなみに5教科合計の得点もそれまでの得点をはるかに上回る点数を得て、一躍「勉強が出来る子」の仲間入りをしたんです。(って自分で言うか?って感じですよね?(笑))

一度そういう経験をすると、そのポジションから落ちたくない!と思うのが人間の悲しい性。他人からの評価の目も気になり、それ以降はコツコツとマジメに勉強に励むようになります。

塾に通い始めて学力の向上を図ると共に、野球部顧問のマイケルのプレッシャー効果もあって、コツコツとマジメに勉強した結果、高校は都内の私立の進学校へ進学します。
何故、都内の進学(電車で最寄り駅から30分、そこから徒歩20分くらい)の学校を選んだのでしょうか?
それは、これまでのボクの考えから分かるかもしれませんが、親のお店を手伝えるような状況にならない為です(苦笑) 

高校生になった光紀青年は、やはり親の家業が自営(飲食店)という事を極力隠したがります。さらに、兄や姉は高校生から家業のお手伝い(アルバイト)をしていて、大変そうだった記憶もあるので、ボクは 「こうなるまい」と心に誓っていたので、都内の進学校に通うだけでなく、とんでもない行動に出ます。

ボクはもともと体を動かすのが好きだったので、

  • これまで約8年間励んできた野球は自分には才能がないと判断した事
  • どうせ新しいスポーツをするなら、皆スタートラインが同じで、自分にも才能が開花するようなスポーツをしたい!

と考えて、ラグビー部に入部しました。
そんな理由で入ったものだから、ラグビーのなんたるか(どこにどんなポジションがあって、そのポジションの役割が何なのか?)を全く知りません(汗)
そんなボクが先輩にスカウトされた配置されたポジンションはフッカー。フッカーはスクラムの最前列で相手の重量級の選手と体をぶつけ合うなかなか過酷なポジションです。

このポジションです。なかなかキツそうでしょ(汗)

このポジションです。なかなかキツそうでしょ(汗)

あれっ!? でも、このポジションの人、大分横にデカいし、アンタの格好からして、こんなポジションなんて務まるの?って思ってくれた方います?実は、ボク、高校の時はめっちゃ太ってました(笑)
※正確に言うと、太っていた・・・というよりは太る努力をしていた感じ。めっちゃご飯食べたしね。

そんなボクの全盛期はこんな感じ♪

フロントローの仲間と夏合宿の名所 菅平高原 で記念撮影 左が近藤くん、真ん中ボク、右がタニヤくん

フロントローの仲間と夏合宿の名所 菅平高原 で記念撮影
左が近藤くん、真ん中ボク、右がタニヤくん

足太ーーーーーーー。腹デカーーーーーー(笑)でも、この時で体重70Kgくらいだったんじゃないかな~(現在は65Kg前後)当時はどんだけ食べても食べた分運動するので、なかなか太らなかったんです。

男子高校だったこともあり、まったく女っ気のない生活を送りつつ、プロテインの飲みながらマジメにコツコツと筋トレに励んだ結果、最高で100Kgのベンチプレスが出来る筋肉を身にまとう事ができました♪(もちろん、裸で筋トレした後は、鏡の前でポージングもしていました(笑))
さらに、中学校時代から培ってきたマジメにコツコツ勉強する精神を活かして、自分で言うのもなんですが、そこそこ勉強も出来て、文武両立した高校生活を送りました。

話は変わりますが、ボクの悪いところの一つに「他人に影響を受けやすい」というところがあります。(そういえば、小学校の通信簿でも先生からのコメントで、「周りの子に流されやすい」って書いてあっったな(苦笑))

実は、高校を選択する際、野球部のそこそこ頭が良い先輩が進学した・・・という事で学校を選んじゃいました。そして、大学も高校の部活の先輩が進学したという事で東京経済大学を志望校として選んじゃいました。 

この人が選んだ学校なら間違いないだろう・・・

まぁ、この学校に行っておけば、それなりに他人の目にも良く映るだろう・・・

って思ったのが正直な理由です。光紀青年は結構他人からどのように見られるかを意識していました。

志望校として選んだ 東京経済大学 は通っていた高校の中で 指定校推薦枠 があり、コツコツ勉強をしていて、部活もそれなりに頑張っているボクにとって、受験をせずに入学できる可能性のある学校でもありました。

そう・・・先生方の指定校ドラフト会議で選ばれれば・・・の話です。

この時、そこその成績を残していたボクは、指定校の推薦をください!って手を挙げれるくらいの内申点がありました。そこで、ボクは逆指名で、1位 東京経済大学、2位 東京国際大学を指名。この時は、何も考えずに、軽い気持ちで逆指名したのです。この後に起きる悲劇など想像する事もなく・・・。

ドラフト会議の結果、ボクは1位の希望枠には選ばれず、2位の学校に内定しました。でもね、どうしても納得いきません。そんな学校に行くくらいなら実力(一般受験)で受かってやるみたいな勢いです。

今考えても、お前何様なんだ!って感じですけど(苦笑)

そして、事もあろうかボクは、内定していた2位の学校を辞退しちゃったんです。これは学校的にも大問題。親は呼び出しをくらって怒られるし、母親は泣いて謝るし、もうボク的には「この世の終わり」みたいな修羅場です。

この苦い経験が元になって、他人様(母親は他人ではありませんが・・・)には絶対迷惑を掛けちゃいけない!っていう信念が確立されたんだと思います。ちなみに、この後、一般受験で見事1位の東京経済大学に現役で合格したのは言うまでもありません。

なんて、簡単に現役合格って書きましたけど、ラグビーは冬のスポーツ(全国大会は年末~年始にかけて行われます)なので、引退時期がその他部活に比べるととても遅いんです。ですので、現役引退したのは確か、10月の中旬くらいだったかな・・・それからの受験勉強でしたので、かなりマジメにコツコツと勉強しました。毎晩毎晩、机に向かって、ボールペンのインクが無くなるの生きがいにするくらいにひたすら紙に文字や計算式を書いて、暗記に励みました。

さらにこんなエピソードも・・・。ラグビー(特にボクがいたフォワードというポジション)はず~っと走りっぱなしです。自分がキツイからといって、手を抜いて走るとその他14人のチームメイトに迷惑を掛けます。ですので、自分に負けずひたすら走る コツコツと手を抜かずに走る 事はとっても大事なんです。

そうです。ボクの人生は マジメにコツコツ という考えがかなり影響しているんです(笑)

コツコツと努力する事は大事。努力は必ず報われる。という経験をして高校生活を終え、光紀青年はいよいよ大学へと進学します。

高校時代の仲間 この頃よりデカうなっているヒトもチラホラいるとかいないとか・・・(笑)

高校時代の仲間
この頃よりデカくなっているヒトもチラホラいるとかいないとか・・・(笑)

 

ボクの生きてきた道 つづき

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