【大学時代】スキー部もコツコツやり切る!?
大学に入学した光紀青年は、高校の修学旅行でハマッたスキーを始めます。ちなみにですが、大学を選んだ際のベンチマーク(目標)となった先輩は大学でもラグビー部に入ったのですが、さすがに大学まで通わせてもらって、家業の手伝いをしないのも如何なものか?という想いもあったので、(もちろん、親からも暗黙のプレッシャーを受けていたので・・・)ラグビー部への入部はしませんでした。
光紀青年の大学時代は、家業手伝い50%、スキーサークル40%、勉強10%の割合で成り立っていました。スキーもラグビー同様、ほぼ思いつきで始めたので、スキーのなんたるかを知りません(笑)
スキーには、基礎スキーとアルペンスキーがあって、ボクがたまたま入ったスキーサークルは基礎スキーでした。ちなみに基礎スキーは、如何にキレイに滑るか?のスキーで、アルペンスキーは、如何に早く滑るか?のスキーです。あっ!サークルに入ったのも、同じクラスで知り合った人が入ったサークルだったからのような気がします(笑)
で、ボクの良いところに一つにハマったらとことんやる!というところがあります。スキーはかなりハマりまして、夏はインラインスケートで、近所の工業地帯の線路沿い(直線にして2~3Kmはあるかと思います)をひたすら走り、スキーの操作感覚(エッジング)を研ぎ澄まし、更に当時かなり流行った千葉県船橋市の室内スキー場 スキードウム ザウスへ一月に一回は必ず滑りに行ったり、毎年、スキー道具を買い換えたりしていました。
道具代や合宿代等にかなりお金をつぎ込んだので、家業を手伝ったアルバイト代はほぼスキーに消えていきました。それだけに飽き足らず、親に直談判して、大学2年生からは冬の間(大学の後期試験が終わってから1ヶ月くらい)はスキースクールのアルバイトをしながら、空き時間に自分の技術向上を図る練習をしたりしていました。
ボクがこれだけ没頭できたのは、同じサークル内のライバル 赤松君がいたからです。彼はサークルに入った時は、正直そんなに上手ではありませんでした。それが大学1年か2年の夏にニュージーランドへスキー留学をしてきて、かなり上手になって帰国。自慢っぽいですが、ボクはサークル内ではそこそこの実力者だったので、これにはかなり焦りました。「赤まっちゃんに負けられない・・・」って。
それでも、カレとは仲が良かったので、一緒のスキースクールへ勤務していました。途中、ボクがライバル視しすぎて、関係がギクシャクしたのはナイショです(汗)
ここでもボクの本領発揮!!!
マジメにコツコツ努力して、見事当初以上の目標である1級の上の資格テクニカルプライズを取得して、全国の大学基礎スキーヤーが目標とする大会で50番以内に入るという好成績も残します。
※どれくらい凄いのかというと、サークル始まって以来の好成績だし、まだ破られていないと勝手に思っています。
で、大学4年のスキー最終シーズンに入る前にはちゃんと就職活動も済ませていまして、幼少の頃からの念願かなって、東京千代田区神田にある会社サンミック千代田(株)への入社も決まっていました!!!
ここまでお付き合い(お読み)下さったかたは、もう想像がつくかもしてませんが、実はこの会社、サークルの先輩が入社した会社です(笑)
ってどんだけ他力本願なのーーーーーーーーー?!
でも、この先輩はかなりマジメに就職活動していたので、この先輩がえらんだ会社なら間違いないかな?っておもっちゃったんです。(ちなみに先輩はボクより先に退職しました(笑))
会社員になった当初、ボクはこの会社に骨をうずめるつもりでいたし、普通に結婚して、東京の江東区にマンションを買って、男の子2人を妻との間にもうけて、家族4人で暮らしていく事を夢見ていました。
ところが!!!!!(つづく)