【中学校時代】マイケル・ホイ(似の先生)から学んだ大切なこと!?

僕は中学生になって、当然のように野球部に入りました。

入部した直後の1年生はボールに触れる事もなく、ひたすら中学校の周りを走らされたり、校庭のトラックを延々と走らされます。
今となっては足腰を鍛えるためのトレーニングであったと理解できるのですが、当時はただ単にイジメや・・・・って思っていました。

更に!走らされるだけでなく、顧問の渡辺先生(俗称=マイケル※マイケル・ホイに似ていたからです)は、生徒一人ひとりに目標タイムを設定して、そのタイムをクリアするまで延々と走らせるという超キツイ試練も与えてくれました。

マイケル・ホイ 香港映画Mr.BOOで有名な俳優さんです。今のご健在なのかな?

マイケル・ホイ
香港映画Mr.BOOで有名な俳優さんです。今もご健在なのかな?

でも、このマイケルはボクの人生の恩人でもあります。自分に甘いボクはどうしてもマイケルが設定したタイムをクリアする事ができませんでした。もう無理です!走れません!アピールを先生にしている時にこんな言葉をもらいました。

「お前はやれないんじゃない。やらないだけだよ。」

って。要は走れる走力はあるのに走ろうとしないっていう事です。
この言葉って、当時のボクには「あっ!自分も足れば出来るんだ・・・」っていう気付きを与えてくれて、以後、何か苦しい事があった時とかに「自分は出来る!」って根拠のない自信と、他人の数倍の努力をコツコツとすれば、必ず目標は達成出来る!っていう事を教えてくれました。

話は変わりますが、この時代は先生が生徒に手を上げるなんていうのは当たり前の時代。部活をしているとストップウォッチを振り回しながらグラウンドに現れて、練習態度が気に入らん!といきなり暴力?厳しい指導?を受ける事もしばしばありました(汗)

・・・やっぱり、マイケルは恩人じゃないかも(笑)

ボクは正直、レギュラーになれるような実力はなかったのですが、マイケルの厳しい指導についていけない実力者 吉田君が退部した事よって、繰上げ当選みたいな感じで何とかレギュラーの座を射止める事ができました。

セカンド7番でした♪

セカンド7番でした♪

でも、ここで自分の野球の実力の限界が見えてしまったボクは、このあと約20年以上、野球からは身を遠ざける事になります。

左上が顧問のマイケル ね?似てるでしょ?(笑)

左上が顧問のマイケル
ね?似てるでしょ?(笑)

 

ボクの生きてきた道 つづき

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