【小学校時代】野球にあけくれたキャプテン光紀!?

そんな幼少期を過ごしてきた光紀少年。小学校に入学すると、子供の行動あるあるの一つを実行します。それは・・・兄の少年野球を追っかけて、小学2年生で野球チームに入団するって事。1番最初にもらった背番号は64。部員が64人いた訳ではないのですが、何故か64でした。

兄の背中を追っかけて入ったは良いものの、入団する事に満足してしまって、2年生の頃はあまり練習に参加しない日々を過ごします。これもあるあるの一つですよね(汗)

ところが、3年生になったある日、親からも「参加しないなら辞めてしまえ!」と言われ、渋々練習に参加した際、練習試合か試合形式の練習だったのかは覚えていませんが、守備でファーストを守らせてもらいました。これを切欠にして野球って面白れーーーーーーって、野球に目覚めます。 

兄が両親に対して、グローブを買って欲しい!と根気良く手紙を書いた結果、グローブを買ってもらったという事を聞いていたので、ファーストを守った翌日から ファーストミットを買ってください。 と必死の手紙攻撃をするという一幕もありました。我ながらアホですね。
(ちなみに、グローブは買ってもらえませんでした(笑))

こうやって野球に目覚めた 光紀少年 は小学校を卒業するまで野球メインの生活になりました。背番号は64→15へ。15は当時の巨人軍の山倉捕手と同じ背番号で、子供ながらに微妙な背番号でした(笑)
※山倉は地味なイメージでしたからね。
ポジションもいつの間にかセカンドに定着。そして、自分達が最高学年の6年生になるとき、忘れもしない通っていた新狭山小学校のグラウンドでキャプテン決めの儀式がありました。

みんな一列にならんで、監督が「誰かキャプテンしたいヤツいるか?」って聞くんです。みんなやりたいかもしれないけど、ちょっと恥ずかしい気持ちが強いのか誰も手を挙げません。そんな時、一人の少年が手を挙げました!

そうです。光紀少年です(笑)

幼少の頃から変わった事が嫌いだったのに、ちょっと目立ちたがり屋な一面もあり、キャプテンをしたくなっちゃったんです。ここからは裏話ですが、実は監督はチーム1の実力者 田中君にキャプテンをして欲しかったらしいです(苦笑)

リーダーの実力がズバ抜けていないと、周りの選手が盛り立ててくれる・・・というのは良くある事だと思うのですが、光紀キャプテン率いる狭山ファイターズは、数々の大会で準優勝や3位という好成績を残していきます。
※自慢ですが、当時はめちゃめちゃチーム数が多かったので、3位でもかなりの好成績だったんです♪

準優勝した時の記念撮影 田中君は後列の左から3番目です。

準優勝した時の記念撮影 田中君は後列の左から3番目です。

こちらは何かの大会での第3位♪

こちらは何かの大会での第3位♪

そして、小学校での栄光を引きずったまま中学校へ進学して、当然のように野球部へ入ります。

 

ボクの生きてきた道 つづき

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