【誕生~幼少期】将来の夢はサラリーマン!?

ボクは昭和50年1月3日、埼玉県狭山市で寿司店を経営する両親の間に3人兄弟の末っ子として生まれました。
生まれの埼玉県狭山市は、『狭山茶』というお茶の産地として有名であったり、東京の都心へは電車で約1時間(日中は45分位)という立地条件なので、東京へ勤務する会社員家庭のベッドタウンとして栄えている、人口15万人(小松市とほぼ同等)の市です。また、工業地帯としての一面もあり、多くの工場もあるので、税収的にはなかなか豊かな町でもあります。

5ヶ月くらいのボク

5ヶ月くらいのボク

そういう環境なので、両親の営むお店は、近くの工場の社員の方を始め地元の社長さん達に好意にして頂き大繁盛♪
そんな忙しい両親でしたので、ボクは子供の頃は近所の知り合いの老夫婦の家に預けられて、その家庭で過ごす時間も長く、家に帰ってくると兄や姉と一緒に店舗併用住宅(1階はお店、2階が自宅)の2階の2間続きの和室で兄姉とサッカーをしたり、野球をしたりしていたのを憶えています。
(でも、和室の下は宴会場だったので、バタバタと騒ぐとお客さんから苦情が来て、両親に怒られたりした苦い思い出もあります(汗))

兄と姉とボク

兄と姉とボク

先にも書きましたが、会社員の家庭が多い地域だったという事と、当時は専業主婦やパートタイマーで働いているお母さんが多かったので、ほぼ大半の家庭の子供は、みつぎ幼稚園へ通っていました。

みつぎ幼稚園 小学生の頃はこの園庭で遊んだな~。

みつぎ幼稚園 小学生の頃はこの園庭で遊んだな~。

それに対して、両親が共働きのボクは、新狭山保育園に通っていたんです。共働きの家庭なら保育時間の長い保育園に預けるのは当然の事なのですが、幼少の頃はそれが嫌でした。
正確にいうと、小学校に進学した時に自分が保育園に通っていた・・・という事がバレるのが嫌でした。「ボクも皆と一緒に幼稚園に通いたかった・・・」って。

今になって考えると、ボクって他人と違うことがとっても嫌な子だったんだな~って思います。

小学生になって、保育園出身であるという事もそうなのですが、自分の家は寿司屋というのも隠したがりました。(もう皆にはバレバレなんですけどね。)
周りの子の親はほとんど会社員等お勤めの方が多いですから、自分だけ環境が違うというのは嫌だった・・・というのは保育園問題と一緒で、もうお分かりだと思います。

それでも、自分の親をバカにされるのは許せない。ある時、同級生が「お前の家の寿司は不味い」なんて言ってきた事があり、親の家業を隠したいにも関わらず悔しくて喧嘩した事もありました(笑)

そんな、ちょっと複雑な子供心をよそに、両親は忙しい合間をぬっていろんな場所へ連れていってくれたようです。ボクはほとんど憶えていなくて申し訳ないのですが(苦笑)

これどこかな~。森林公園っぽいな。

これどこかな~。森林公園っぽいな。

公園?キャンプ場?どこやろ? でも、後ろにいるのは兄貴だな(笑)

公園?キャンプ場?どこやろ? でも、後ろにいるのは兄貴だな(笑)

そして海。これは海なのは間違いない!どこの海か分からないけど(苦笑) ボクは1番左です。

そして海。これは海なのは間違いない! どこの海か分からないけど(苦笑) ボクは1番左です。

うん。今となっては、両親の元に産まれて、育ててもらって良かったな~♪って思うのですが、当時は幼心にこれだけは決心していました。

ボクは絶対サラリーマンになる

って(汗) 

そんな想いを胸に光紀少年は徐々に大きくなっていきます。

新狭山保育園の園庭で遊ぶボク

新狭山保育園の園庭で遊ぶボク

 

ボクの生きてきた道 つづき

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