実は建築業ってボクの宿命でした

今日は埼玉県狭山市の実家で目覚めた 明星光紀(あけぼしみつのり) です。歳をとったせいか、今日も6時過ぎには目覚めたので、シャワーを浴びて、父親の墓参りに行ってきました。

IMG_2854 (1)

親への感謝は生きているうちに伝えないとね。って反省している図。

えっ?石川県に住んでいるのに何で埼玉県?!って思ってくれた方もいると思います。

実はボク、41年前に埼玉県狭山市の西武新宿線 新狭山駅すぐ近くの寿司屋 竹寿司 の次男(3人兄弟の末っ子) として、生まれまたんです。

順当に行けば、寿司屋の跡継ぎ・・・・といったところなのでしょうが、長男がいるし、何よりもボクは自営業の寿司屋という商売を毛嫌いしていたので、寿司屋の跡継ぎという選択肢はありませんでした。

あっ!別に両親が嫌いだったのではありませんよ。ただ単に自営業が嫌だったんです。

大人になった今なら分かりますが、当時は幼心に「他人と違うのが嫌」っていう潜在意識があったんだと思います。

他人と違うとは何なのか?

◎幼稚園じゃなく、保育園に通う・・・今では保育園は当たり前ですが、昔は専業主婦の方も多かったので、ほとんどの子が幼稚園に通ってました。

◎頻繁に家族と出かけられない・・・週末はもちろん両親は仕事。休みといえば定休日のウィークデーど真ん中(当時は火曜定休の時もあったし、水曜定休の時もありました。)。ボクらは学校なので、どこかに連れて行ってもらうわけでもなく、たまに外食に行く程度。当時のサラリーマンは週休1日だったと思いますが、日曜日が休みなので、家族でどっかに出かける・・・これが普通のイメージでした。

◎隙あらば皿洗い等の手伝いをさせられる・・・これはかなり嫌でしたね。これを避ける為に、高校ではした事もないラグビー部に入部したくらいです(笑)

3-3
高校時代の仲間と高校生活最後の菅平合宿にて

自営業に対するコンプレックスを抱え保育園時代~高校時代を過ごしたので、寿司屋の店主はありえないというボクが完成した訳です(苦笑)

あれっ兄貴は?と思われたかもいるかもせいれません。兄貴は家業を継ぐべく、丁稚奉公に出たのですが、「こりゃ、自分も合わんな」と判断したのでしょう。ボクが大学2年生くらいの時に、その道からは足を洗って、普通の会社員になっちゃいました(汗)ですから、大学2年~卒業まで、何気に親の「光紀、跡継がないかな~」っていうプレッシャーはヒシヒシと感じてながら生活していました。(気のせいかもしれませんけどね。)

親の期待とは裏腹にボクは東京都千代田区大手町にある会社に就職♪

が!それがボクの人生の転機となりました。

入社した会社の同期で素敵な女性に一目惚れ。それが石川県で住宅会社(工務店)を経営している方の娘さん(妻です)だったんです。その後色々あって結婚に至り、結局 義父の会社を継ぐ という選択をして石川県七尾市にIターンしたという訳。小さい時は自営業は嫌だったのにね(笑)

でもね、実は、建築業ってボクが生まれてからの宿命だったんです。何でかというと、こんな実話があるからです。

3人兄弟の末っ子として生まれたボクの名前を両親はどうしても考え付かなかったらしいんです。今になって思えば、考える暇がない程働いていたんだろうな。そこで、両親がとった方法はボクをつれてお寺へ行って、命名を依頼しました。その時の名付け親のお坊さんがこう言ったそうです「この子は将来、美術とか建築とかの仕事に向いてる」って。

ね?ビックリでしょ?

お坊さんの言うように、ボクは今の仕事が結構好きだし、面白いから、向いているんだろうな。一人で勝手に納得しています。そんな訳で今日、七尾へ帰って、ボクを待っている沢山のお客様の為にまた明日からお仕事頑張りまーす。

では!

タグ:

応援よろしくお願いしま~す♪

ページの先頭へ